第17番 光円寺

【歴史・由来】

光圓寺は15世紀中ごろ、江馬家十二代時重の発願によって、高山素玄寺三世楽翁秀村和尚を開山として創建されたといいます。和佐保の小糸洞にあったようです。文明10(1478)年9月13日に時重は逝去しました。 弘治年間(1555年ごろ)に和佐保で新兵衛が鉱脈を発見し、和佐保寺ヶ洞一帯が、採掘した鉱石を選鉱する場所となりました。 新兵衛没後の天正7(1579)年ごろ、茂住宗貞が来て大留付近を採掘して、隆盛を極めました。 18世紀中ごろ、洪水のため山腹谷間の土砂が一気に破壊し、坑夫の数百の住民や、寺ヶ洞選鉱所、飯場などが埋没しました。住民菩提のため、小糸洞の光圓寺を移転して、宝暦4(1754)年9月、本堂を建立しました。文政4(1821)年、光圓寺八世謙翁大如和尚は、高原郷各村から寄進を募り、伽藍を再建しました。天保11 (1840)年、入仏法要を修し、信仰道場として盛大でした。その後、昭和33 (1958)年、十四世得禅和尚が庫裏を改築しています。 重要な寺宝は、元禄初年(1688から)、円空上人が安置した阿弥陀二十五菩薩像です。近年、画家の上葛明広氏が、光圓寺の阿弥陀二十五菩薩像を、スイスの彫刻家ジャコメティの『森』などと比較して論じました。場所も時代も離れていますが、山岳を望む地帯ということで、環境は似ています。類似した造形が生まれるのは、不思議ではないかもしれません。 標高1219の二十五山の山頂一帯に濃霧がかかり、農作物に被害が出たとき、円空上人の発願により、造仏祈願したと伝えられます。二十五山は神岡町の市街から東方4キロほどの東方にそびえ、二十五菩薩を安置してから名が改まりました。昔、北国の修験者が修験場にしようとして、二十五菩薩を現した石25個を背負って上ったという話が基です。 神岡の鉱山はこの山の周りにあり、銅山、和佐保新兵衛宅の後などが付近にあります。7月25日の縁日の参拝者には、前日からこもる人もいました。北アルプスなどがパノラマのように見渡せる絶景の場所です。

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御詠歌

山津波やまつなみまれし亡霊ぼうれいを弔ふと

建てしを伝ふ光圓精舎

概要

第17番 宝福山 光円寺(こうえんじ) 曹洞宗

◇本 尊 釈迦牟尼佛

◇観 音 二十五菩薩

◇円空仏 阿弥陀二十五菩薩

所在地

〒506-1105 飛騨市神岡町和佐保

tel. 0578(82)2036

納経受所

玄関

拝観料

なし

駐車場

あり・境内に普通車10台、バス1台

アクセス

22番 殿 円城寺 → 17番 光円寺

◎距離:約7.5km

◎車で約15分

年中行事

新年山門祈祷会/1月1日

新年寺年頭/1月第2日曜

涅槃会・彼岸会/3月

円空二十五菩薩祈祷会/7月25日

盆施食会/8月16日

彼岸会/9月

開山報恩忌/11月第2日曜


■ご開帳

1年ごと/7月25日


■新しい行事

双葉保育園児なめこ菌植え/4月中旬

境内環整備/7月中旬

涅槃団子作り/3月