第24番 本覚寺
【歴史・由来】
かつて吉野に天台宗の荘厳寺という名刹があり、末寺に本郷の正参寺と桂月庵の2つがあったようです。いずれも兵火で焼失しました。 鎌倉時代の中期(文永年間とも)に江馬氏二代、平朝方(高原太郎)が再興し、その二男の時信を出家させて道泉源と名付け、開山としたといいます。創建当時の制札は寺宝の1つです。そのころ寺号は「高原山本閣寺」でしたが、後に現在の本覚寺と改めました。 天正13(1585)年、佐々成政らに攻められ、堂宇を焼失しました。そして、寛永年間に、越中氷見の国泰寺の僧、松巌和尚がこの寺の六世として住みました。そのとき臨済宗になったといいます。 本覚寺には笠ヶ岳を再興された播隆上人の書いた『迦多賀岳再興記』が残っています。「迦多賀嶽」とは今で言う笠ヶ岳。北アルプスの名山の一つです。播隆上人は越中国新川郡生まれの修行僧でした。上宝では岩井戸の杓子の岩屋に参籠して念仏修行をしていましたが、笠ヶ岳は往古、円空上人を始め先達が登頂密行し仏像を安置した霊山であると聞き、文政6(1823)年に先達となって、同行18人と登頂しました。 この時、ご来迎浮雲の中に如来像の出現を見たことを記しています。(この現象は現在で言うブロッケン現象ではないか)「ご来迎」が現れたのは近くの槍ヶ岳だったということもあり、翌文政7年、笹島村より第4回目の登頂には、道標の石仏と頂上に仏像を安置し、さらに文政9年より天保年間にかけて槍ヶ岳も開いたと言われています。 当寺には飛騨で有名な農民一揆「大原騒動」の義民だった本郷村善九郎と吉野村喜十郎を始め犠牲者全員を供養する「寒念仏供養塔」があります。18世紀の後半、2度にわたって起こりました。幕府の台所事情による代官の厳しい年貢取り立てがあったことによります。善九郎はわずか18歳で刑死しました。飛騨国中の英雄でした。当寺十三世の魯峰和尚は、善九郎の精神をたたえて「智徳厳勇居士」の法号を贈り、お墓は当寺裏山の本郷を一望できる墓地に建っています。 国分寺の項などで登場した作家の江馬修は善九郎を小説にしていますし、高山陣屋などで行われる歴史解説では欠かせない人物です。 妻かよに送った遺言は、現代人の涙も誘います。
概要 |
第24番 高原山 本覚寺(ほんかくじ) 臨済宗妙心寺派 ◇本 尊 釈迦牟尼佛 ◇観 音 楊柳観世音菩薩(版木) ◇円空仏 地蔵菩薩(他説 善財童子) |
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所在地 |
〒506-1317 高山市上宝町本郷1425 tel. 0578(86)2058 fax.0578(86)2160 |
納経受所 |
玄関 |
拝観料 |
なし |
駐車場 |
あり・門前に普通車 20台、バス3台 |
アクセス |
23番 両全寺 → 24番 本覚寺 ◎距離:約11km ◎車で約10分 |
年中行事 |
修正会/1月1~3日 初観音/1月18日 初午祭/2月第2の午 成道会/2月15日 涅槃会/3月彼岸中日 法話会/3月中旬 降誕会/5月8日 坐禅会/7月~8月下旬 英霊追弔供養/8月15日 達麿忌/10月5日 報恩講/11月中旬 |