第4番 素玄寺
【歴史・由来】
慶長13(1608)年、高山城主金森家初代長近公が逝去されたため、二代可重公が追善菩提のため建立されました。寺の名は、長近の法名「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」から採ってあります。飛騨各地の寺院の歴史をひもとけば分かりますが、金森家は多くの寺の建立、復興などにかかわっています。飛騨の寺院史のなかで金森氏の存在は重要です。
素玄寺は建立以来、金森家歴代の菩提所となっています。そのようなわけで、金森家から寄進された寺宝はたくさんあります。鶴毛陣羽織は、長近公が豊臣秀吉からもらったものだといいます。軍扇、采配、吉久鎧通し、金森長近肖像などです。すべて市文化財に指定されています。また、本堂は高山城二の丸にあった評議場を移築したものです。
開山天翁秀梅大和尚は長近公の帰依僧と言われています。
境内とは離れた高山市松倉町の松倉山岩屋に松倉観音堂があり、8月9・10日には縁日法要があります。絵馬市が開かれ、飛騨一円はもちろん、県外からも信仰者が訪れます。本尊は8センチあまりの小さな木彫馬頭観音です。「松倉山縁起」によると比叡山の慈覚大師が中国から帰朝の途中嵐に遭遇されました。大師が一心に観音菩薩を祈念されると不思議にも風雨が止み無事に帰国することができました。そのお礼に自ら彫まれた尊像であります。後に佐々木高綱が乞請け、更に伝わって松倉城主の三木自綱が兜に納めていた守り仏だったと言い伝えられています。信仰者は牛馬の安全祈願に訪れ、絵馬を求めて帰るのです。和紙に描かれた馬は、かっては外で良く働くように玄関の外へ向け、現在は幸福や富を外から運び入れるようにと、内へ向けて張る傾向になりました。
高山の夏を彩る風物詩ともなっています。
本尊馬頭観音菩薩は普段、素玄寺境内の観音堂に安置されています。
8月の縁日に松倉山へ遷されて法要が行われるようになったのは、江戸時代の後期で、絵馬市の起源も同じ頃のようです。
御詠歌 | 補陀洛や法りの言の葉松倉の 松の響きも響きも深き谷川 |
---|
概要 |
第4番 高隆山 素玄寺(そげんじ)曹洞宗 |
---|---|
所在地 |
〒506-0832 高山市天性寺町39 tel. 0577(32)2519 fax.0577(32)2690 |
納経受所 |
寺務所 |
拝観料 |
なし |
駐車場 |
境内に乗用車5台 |
Eメール |
sogenji@gamma.ocn.ne.jp |
アクセス |
3番 雲龍寺 → 4番 素玄寺 |
年中行事 |
転読大般若/1月17日・10月17日
|