第5番 善応寺
【歴史・由来】
当山に安置する秘仏本尊 如意輪観世音菩薩は、インド・マカダ国の大徳ビシュカツマの作と云う金銅仏であり、その姿は二臂半跏思惟相で寺伝では如意輪観世音菩薩となっています。総高1尺8寸(54センチ)で厨子に入っており、現在表面は黒色になっていますが、作風は奈良白鳳時代の重文級と相似ております。
さて、その由来を尋ねるに、尊像はインドに誕生し、縁を中国に結び建久2年(1191)栄西禅師帰国の折日本に迎え入られ、京都建仁寺に祀られたと云われております。そしてその寺の開基である源頼家が篤く帰依されていたが、故あって三木自綱公の帰依する所となり、その後飛騨を平定した元禄元年(1558)松倉築城の折り、城下に尊像を守本尊として真言宗善応寺を建立したそうです。
しかしながら、僅か27年にして、天正13年(1585)8月、金森長近公の軍勢によって松倉は落城、当寺も兵火に見舞われた時、火炎の中で燦然と輝く尊像に驚いた金森兵がこれを助け出し、後に金森長近公高山築城の折りに、城内に一宇を建て祀りました。そして慶長13年(1608)長近公の菩提を弔う寺として素玄寺が建立されると尊像を境内に移し、寛永3年(1626)には素玄寺二世の格翁門越大和尚を勧請開山とし、曹洞宗の善応寺として再興されました。更に天保6年(1835)には、飛騨の大地主永田吉右衛門尚友氏の援助により現在地に移転、大正8年(1919)不慮の火災に遭い再び全焼するに至りました。大正14年5月市内及び近郊多数の協力によって、総ケヤキの本堂と地蔵堂が完成しました。地蔵堂には天明二年、夢のお告げにより越前勝山から迎えられたと云う等身大の石地蔵が祀られ、病気平癒・息災延命の祈願に多くの信者が集まります。
大正14年の再建後も地蔵堂に身代わり地蔵尊(自分にふりかかる災難を代わって受けてくださる、御自身の分身としてのお地蔵様)が2000体以上も祀られ講中を中心に毎月24日に法要が厳修されます。昭和49年には、何時でも誰でも坐れる場所として坐禅堂を建立し、希望者には坐禅指導も行っております。また、毎月定例坐禅会があり、12月には摂心坐禅会も行っております。
概要 |
第5番 宝樹山 善応寺(ぜんのうじ)曹洞宗 |
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所在地 |
〒506-0834 高山市宗猷寺町177 tel. 0577(32)4516 fax.0577(32)4560 |
納経受所 |
玄関 |
拝観料 |
なし |
駐車場 |
境内入口と横に乗用車10台 |
Eメール |
mla19581@mbr.nifty.com |
アクセス |
4番 素玄寺 → 5番 善応寺 ◎距離:約200m ◎徒歩で約3分 |
年中行事 |
初地蔵・大般若会/1月24日
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