第1番 飛騨国分寺

【歴史・由来】

国分寺は天平18(746)年、聖武天皇の勅願により創建されました。開基は行基。飛騨国第一の古刹です。天正15年には、中興第一世玄海法印の懇請により、秀吉の家臣金森長近が寺院を再興しました。国の重要文化財でもある本堂は、室町中期の様式で、高山市内では最古の建造物。周囲からは三重の塔と大きなイチョウの木が目立ちます。
天平年間に建てられたという七重大塔の礎石が残っており、舎利孔が見られます。飛騨国分寺塔址は国指定史跡です。本尊薬師如来(国重文)は行基の作と伝えられ、聖観世音菩薩(国重文)は旧国分尼寺本尊で、春日仏師の作と伝えられています。
境内の大慈悲母観音像は、現代になって、中村久子女史が建てました。中村女史は手足を病気で無くし、波乱の人生を送りましたが、逆境を克服して「日本のヘレンケラー」と称えられた人物です。
境内には大きなイチョウの木がそびえます。樹齢千年を超えるといわれます。高い場所に石仏が置かれ、なぞの一つです。また、八重菊という少女の伝説が伝わります。棟を建てた大工の父が材料の長さが足りないことに気付き、悩んでいたところ、娘が柱の上の枡組みを提案して、窮地を救ったという話。その後に少女は、口封じで境内に埋められ、その上に植えられたのがこのイチョウと言われています。いちばん大切であるものすら、仕事のためには犠牲にしかねない飛騨の匠の姿。その尋常でない様子が強調され、民話に象徴されて伝わったのでしょう。大木は乳イチョウとも呼ばれ、数多くの乳根が垂れ、母乳の出が良くなることを祈る参拝者があります。また初冬の落葉で降雪の時期を知るなど、市民は愛着をもって見守っています。国の天然記念物です。
飛騨の匠といえば、木鶴大明神の神像は、飛騨の大工の守護神像があります。左甚五郎作ともいわれます。
また、境内には江戸時代の力士の墓があります。白川郷出身で白真弓肥右エ門という力士がいて、黒船が来たときに、米を八俵かついで力自慢したという伝説があります。
大正年間には横山大観が滞在したこともあります。絵の創作に向かう芸術家の姿にあこがれた旧制中学生がいました。『受難者』『山の民』などを遺した江馬修。小説家を目指す最初のきっかけは、少年の江馬が国分寺での横山と出会ったことです。自叙伝『一作家の歩み』で表現される國分寺界隈では、遠くの山並みが見渡せたとあります。現在の家並みに囲まれた様子には、隔世の感があります。
高山市役所や裁判所も、近くに建てられて、平成年間にはまったく昔の風景は無くなりました。今では、高山市の中心地といっても過言ではない場所になっています。
国分寺の名前は「国分寺通り」や「国分寺商店街」など、高山市が発展して新しく出来た地名に使われています。

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御詠歌

もうひとかりけり

御薬師みやくしまつる国分くにわけてら

概要

第1番 医王山 飛騨国分寺(ひだこくぶんじ) 高野山真言宗
◇本 尊 薬師如来(国重要文化財)
◇観 音 聖観世音菩薩(国重要文化財)
◇円空仏 弁財天・薬師三尊(非公開)

所在地

〒506-0007 高山市総和町1の83

tel. 0577(32)1395 fax.0577(32)9383

納経受所

納経受付所

拝観料

300円

駐車場

境内に普通車10台、バス1台

Eメール

kokubu-1@helen.ocn.ne.jp

URL

http://hidakokubunji.jp/

アクセス

JR 高山駅 → 1番 国分寺
◎距離:約300m
◎徒歩で約5分

年中行事

節分星まつり/2月3日
弘法大師正御影供/3月21日
本尊薬師如来供/5月8日
弘法大師誕生会「青葉まつり」/6月15日
三重塔「大日如来供」/8月1日
大聖歓喜天供/11月16日
除夜心経会/12月31日
不動明王護摩供/毎月28日
本尊薬師供/毎月8日
弘法大師供/毎月21日